自分の日記がつまらない。
自由にキーボードを連打したような日記になってしまいます。
キーボードを叩くだけなら、猫でもできます。
むしろ、猫の日記の方が私は読みたいです。
今回は、猫よりおもしろい日記を書く方法を考えてみました。
読み応えのある日記とは

日記を読んだ感想はたいてい、「時間を返してほしい」というもの。
誰かに見せるつもりはないのですが、自分にすら読まれない日記に価値があるのだろうか、と思ってしまいます。
せっかくなら中身のあるものを書きたいです。
おもしろい日記には工夫が必要だと思います。
思わず膝を打つような知識、使いまわしではない新鮮な考え、つい口角が上がるユーモア。
そういった工夫にあふれた、読み応えのある文章。
そういう日記を私は書きたいです。
読書で自分の「おもしろい」を知る

楽しめる日記にするにはどうすればいいでしょうか。
まずは、自分にとって何が「おもしろい」のかを知る必要があります。
「とにかく美味い料理」と注文しても、何も出てこないのと同じことです。
自分の舌に合う味付けを知らなければいけません。
そのためにはもっとたくさん、おもしろい本を読むようにしたいです。
哲学、歴史、小説、エッセイ。
なんでもいいけれど、心から楽しめる文章を。
読書にとって義務感は敵。
世間体や見栄から立派と思われるために本を選んでしまいがちです。
豪華な装飾品を身に着けても人の価値が上がらないように、立派な本を読んでいても、その人が立派とは限りません。
心が求める本を読むようにしたいです。
日記の材料を探す

いい本に出会い、読書を充実させることができたとしても、インプットは不十分。
いい日記には、いい一日が必要です。
食材なしに料理は作れません。
「いい一日」の定義は人によって違いますが、ただ心地良いことだけが条件ではないでしょう。
仕事で散々な目にあったり、思いも寄らない不運に見舞われることもネタになります。
苦い調味料もいい味付けには必要です。
おもしろい日記にとって、本当の敵は「何もない日」かも。
静かな流れのない湖のような一日。
それ自体も一つの経験ですが、そればかりではおもしろい日記にはなりません。
心のレーダーの感受性を上げておきたいです。
くだらない一日の中にも、ドラマチック体験は潜んでいるかもしれないから。
日記の読者は、未来の自分

自分にとってのおもしろさを知って、刺激的な出来事という材料を見つけました。
これで準備は完了。
あとは猫に負けないように、頭を働かせて書くだけです。
読者はすでにいます。未来の自分。
自分だからといって、おもしろくない文章を読ませてはいけません。
唯一の読者が離れていってしまうから。
何度も推敲し、未来の自分を関心させてやりたいです。
日記は過去から未来への手紙なのかもしれません。
その手紙が読まれるかどうかはわかりません。
読まれる日記にしたいなら、熱量をもって書くしかないでしょう。
真剣に書いた日記は将来大きな宝になるかもしれません。